大切な人に勧めるときに

ご家族や、ご友人へのカウンセリングをご希望の方へ

大切な人に勧めるときに

大切な人にカウンセリングを勧めるときに、
注意していただきたいこと。

問題や悩みの原因となる人が、

「なぜ、そばにいるのか」を、もう一度、見つめ直す。

● ご家族の方とご一緒にカウンセリングを受けていただくこともできます。

(*料金は、お一人でのカウンセリングと同じです)

(*ヒプノセラピー、オンラインでのカウンセリングについては、事前にご相談ください)

*ご希望の人数をご予約・お問い合わせフォームの備考欄に、ご記入していただくか、
お電話や、メールでのご予約の際にお伝えください。

●「ご予約・お問い合わせ」を、ご家族の方などが代わりにしていただいても大丈夫です。

● カウンセリングの日時を決めたあとに、人数の変更することも可能です。

●「カウンセリングを受けるのかを決めること」については、
何よりも、ご本人の意思・気持ちを尊重させていただいています。

カウンセリングを勧めるときに、
注意していただきたいこと

ご家族やご友人、身近にいる大切な方が、
悩んでいたり、落ち込んでいるように見えるときや、

理解に苦しむ行動をしていて、
一緒にいる人にとって負担になり、問題となるときなど、

その関係が近いほど、どうしても
「このままではいけない」と感じてしまうものです。

「助けたい」「何とかしてあげたい」という気持ちは、
身近な存在である家族や、大切な人だからこそ生まれる切実な想いです。

ただ、
「身近な方にカウンセリングを受けてもらう」

その行為自体が、少し難しいことを、
まず、ご理解いただければと思います。

Arriveでは、自分以外の方
「ご家族やご友人にカウンセリング受けてもらうこと」に関するご相談には、

基本的に、相手にカウンセリングのこと(HPなど)を「紹介する」ことまでを、
ご提案させていただいています。

・近くにいるからこそ、
気をつけていただきたいこと

身近な方に「カウンセリング受けるように勧めること」は、
決して悪いことではありませんし、

少しでも楽になっていただくために、カウンセリングは存在しています。

しかし、勧められた側、当事者にとっては
「今の自分のことを否定された」
「このままではいけないと、追い込まれた」

そんな風に、受け取ってしまうことがあります。

これは、カウンセリングを勧めた方に、
まったく相手を非難する気持ちがなかったとしても、
心から心配していても起こりうることです。

勧めた人にとっては「思いやりの気持ち」でも、
相手にうまく伝わらないことがある
のです。

「わかってほしい」気持ち

人は誰でも、
自分にとっての「正しい」を持って、生きています。

意識するかどうかに関係なく、それぞれの内面には、

「当然、こうするものだ」という、
この世界で生きていくために必要な「決まり」「信念」「ルール」が存在し、

自分の身に「何が起こったのか」を、無自覚に判断しています。

私たちは、「自分の世界を守るために決めたこと」を否定されたり、
それが、脅かされそうになると、

反射的に、無意識に、ときには必死になって、
「敵」とみなした対象を、「何とかしよう」「排除しよう」とします。

誰でも、自分のことを否定されたくないし、
安全な場所を確保していたい。

自分の居場所を守るためには、
「自分の正しさ」を証明しなければならない。

だから、
「わかってほしい」のです。

特に身近な存在、近くにいてくれる人には、
「わかってほしい」「わかってくれるはず」と、どうしても期待してしまうものです。

その人の内側に、
守るべき「譲れないもの」があるからこそ、

それが「伝わらない」ことは、大きなストレスとなり、
不安や焦り、そして、相手に対する怒りの原因となるのです。

お互いの距離をつくるもの

自分の中にある「期待」が「怖れ」に変わったとき、

人は、不快な状況を何とか「コントロール」して「改善」しようとします。

私たちは、
誰かが自分の期待通りにならないと、
誰かが自分の思い通りにならないと、

あたかも相手が悪いかのように感じて、「思い通りにしよう」と試みます。

ですが、
自分の気持ちを伝えることを「利用」したり、
相手の行動を「不愉快だ」と指摘して、

自分の不快感を解消しようとしても、

他人を自分の思い通りにすることは難しいものです。

不快を避ける目的のために、
「相手を変えよう」している限り、

どんなに「やり方」を工夫してみても、不安はつきまとい、

余計に不満を感じて、イライラしたり、
失望して、ガッカリすることになってしまうのです。

無自覚な「自分のため」が奥にあると、相手の心は離れてしまいます。

気持ちが思うように伝わらず、心が通い合わないとき、

お互いに自分の身を守りたくて、お互いの距離を測りながら、

「自分の気持ちの方をわかってほしい」と、
相手が自分の思い通りになってくれることを裏で期待し、けん制し合っている状態なのです。

・どんなに隠しても真意(本音)は伝わる

私たちは、相手に何を「言葉で言われるか」よりも、
相手の態度で「何を言われている気がするか」の方が、強く心に残るもの
です。

「相手のため」に、の奥にある本心が、

「自分自身が」罪悪感や無力感を感じたくないからだとしたら、
自己弁護が見え隠れしていたら、
自分の居場所を守りたいからだとしたら、

その問題は、自分が向き合うべき課題と言えます。

もし、家族に「あなたを信頼している」と言われたとき、

その人の目が威圧的だったり、押しつけがましく言い寄られたり、
または、投げやりな言い方だったとしたら、

その表面上の「言葉」よりも、「態度」の方が相手には伝わるものです。

聞き手側は、相手の使う「言葉」と、相手の「態度」と、
自分の中で解釈した「結果」を組み合わせて、
総合的に相手の言いたいことを理解しています。

「わかってほしい」「認めてほしい」
「あなたが間違っている」「私が正しい」

それらを証明するためにコミュニケーションを取ろうとしてしまうと、

相手も反射的に「対立した姿勢」で、こちらの話を聞くことになってしまい、

お互いに歩み寄る機会を失ってしまうのです。

・自分が「何を守ろうとしているのか」を知る

相手とのやり取りを通じて、自分自身が
「何を守ろうとしているのか」「何をわかってほしいのか」を知ること。それが、
お互いを理解し合うためには必要です。

そもそも、
相手は「こう思っているはず」「こんな風に感じているに違いない」というのは、
すべて、想像でしかなく、

「自分が思っていること」を基準にした、勝手な思い込みと言えます。

相手を理解するために、まず、自分を理解する。

「自分のありのまま」を、受け入れることができれば、
「人のありのまま」も、受け入れることができます。

「自分が本当は何をしているのか」が、わかってくると、不思議と、
「相手のこと」も、わかってくるのです。

自分の本心を、自分自身が気づいていくことで、

相手に対する疑いや嫌悪感を感じて、
無自覚な「反応」に振り回されている状態から離れられ、
冷静さを取りもどすことができます。

意識を自分に向けることが、結果的に、心の余裕を生み出し、

相手のことも、わかってあげられるようになるのです。

相手は「あなたが思うような人」になる

誰かが困っているように感じたり、
自分が助けなくてはいけないと思うのですら、実際は、想像でしかありません。

目の前で起こることは、自分の内側を見せてくれています。

目の前の(今は)「問題となっている(ように見える)人」は、

自分で解決できる人だと、
本人の力で大切なものを手に入れていく人だと、信じているのか、

ずっと、助け続けないといけない人だと信じているのか、

「思った通りに相手は、なっていく」ものです。

本当に必要なときは「相談を求めてくれる」と、相手を信頼しているのなら、
「見守る」という選択もできるはずです。

相手と「どんな気持ちで接しているのか」は、
相手が「どうなっていくのか」に大きく影響を与えるのです。

・相手を理解してみる

相手に「自分の気持ちをわかってもらいたい」と感じたときこそ、

相手に対する「良い悪いの判断」を手放して、

相手のことを深くまで「理解しようとする」ことで、見つかるものがあります。

人間関係の中で「何を大切にしたいのか」も、「愛情表現の方法」も、
人それぞれ違っていて、

それこそ、人の数だけ存在しているはずです。

気になってしまう部分に反応し続け、
無自覚に相手を否定し、自分を正当化するために労力を費やすのをやめて、

認められない相手の行動の「奥にある理由」を知ろうとする。

本当に、相手の立場、相手の目線に立つことができて、
「なるほど、こういう思考回路になるのはもっともだな・・・」と思えたのなら、
深いところまで理解していると言えます。

そして、自分とは違う、相手のやり方を、
理解したからといって、すべて同意する必要はないのです。

相手に「共感」することと、相手に「同調」することは違います。

「理解したら同意しなければいけない」
「相手の言い分に合わせなくてはいけない」
「賛成して、同調しなければいけない」と、無意識に信じていると、

どうしても、他の考え方を理解しないように防御してしまうものです。

お互いの信頼関係を築くためにも、
完全に同意して合わせるのではなく、

「そう思っているんだ」と相手を理解して、受け入れる。

「相手を認めた」その上で、「自分がどうしたいのか」は、
自分が「自分の責任で」決めればいいはずです。

自分の意思を尊重した結果、
相手の求めることを「してあげなかった」としても、

心の深いところにある本当の気持ちに「共感しているのか」は、
不思議と相手には伝わるもの
です。

「違う者同士」「折り合わない同士」が「わかり合う」こと。それこそが、
本当の意味での「調和」なのです。

自分と繋がるから、人とわかり合える

人間関係は、自分との向き合い方の延長とも言えます。

「自分は、どうしたいのか」を決めるためには、どんな場合でも、

「問題に見える相手」に向かっている意識を、「自分の内面」に向ける必要があります。

相手のことが、自分には、どう見えているのか

自分にとって、何が嫌なのか

心の奥で、どうなることを怖れているのか

自分の本心に繋がる「本当に相手に、わかってほしいこと」は、

自分にとって痛いこと、
実は、あまり触れたくないことかもしれません。

自分の中にある痛みには触れたくない。だから、

どうしても、相手の方を「何とかしたい」「変えたい」と思ってしまう。

自分を「内側から動かす何か」の正体である
「守るべきと信じていること」「信念」「思い込み」に、目を向けない限り、

「相手のため」の影にある、「自分のため」に気づけないまま、
お互いに自分を守ることになり、

そのせいで、相手も、自分も傷つけてしまいます。

お互いの関係の中で、「自分は」本当はどうしたいのか。

人に「理解してもらえない」と感じるのは、自分が「自分を理解していない」からです。

相手に「わかってほしい」「認めてほしい」と願う気持ち、
自分のいる場所で「これだけは譲れない」と思うことを、

本当に「わかってあげる」ことができて、
誰よりも「その想いを形にできる」のは、自分自身です。

自分の中にある大切な想いを、

相手に期待して「コントロール」するために使ったり、
愛情表現のための「交換条件」に使うのではなく、

本当に自分が求めている世界をつくっていくための「自分の軸」にする。

身近な人、大切な人との関係で生まれる悩みは、

お互いに「見失っている本音」を思い出したくて、
それぞれが抱えている問題や悩みに、それぞれが向き合っている
とも言えます。

目の前の相手を、

わかり合う対象として存在させたいのか、

敵対する対象として存在させたいのか、

自分自身は、いま、どちらに相応しい態度で接しているのか。

何より、
自分の心からの望みと、自分の選択した行動は、一致しているのか・・・

相手を思いやる気持ちは、決して一方通行で終わるものではなく、

本来、自分を勇気づけ、相手への信頼を育みながら、循環していくものです。

だからこそ、まず、
自分が「自分の本当の想い」に繋がり直す必要がある。

身近にいてくれる大切な人との関係の中で、
本当の気持ちを見つけ、伝えることは、

お互いに心の痛みと向き合うこと、

お互いに本心を思い出すこと、そして、

「本当の自分を取りもどす」ために出会った、対等な関係を築く相手として、
大切な意味があると言えます。

だからこそ、その「大切な人」は、そばにいてくれるのかもしれません。


そばにいる人には、「自分のこと」を、

大切にしてほしいと思ってしまう。お互いに。

だから、

「わかってほしい」と、思ってしまう。

「大切にされること=わかってもらうこと」では、ないのに。

「わかってほしい」のは、

「わかってもらえない」と、自分が不安になるから。

自分の中に
「大切にしてもらえない」という、傷があるから。

本当は、
ずっと前から、心には傷があって、

そんな自分を見捨てるように「傷ついた自分」を、
自分から切り離そうとした。

見ないようにした。

傷ついた自分は見たくない。だから、「いない」ことにした。

なのに、

いらない自分は「もう、捨てた」
「自分の一部ではない」と、切り離したら、

今度は、自分の目で見えるようになった。

目の前に「見たくないことをする人」として、現れた。

「不都合な存在」は、目障りになる。

近くに「いる」と、困る。

相手の存在が、
自分の存在を脅かすのは、なぜか。

目の前の「問題な人」は、
何が問題なのか。

こっちの気持ちの方を、

わかってもらって、
理解してもらって、
変わってもらわないと、困る。

こっちが。

身近にいてくれて、
味方になってくれるはずの人が、

邪魔になってしまうのは、
敵にすら思えてしまうのは、なぜか。

受け入れていないこと、
自分が否定していること、
もう見たくないことを、

身近な人が問題として「見せている」としたら、

自分は、いったい何がイヤなのか、

何を、許せていないのか、

自分と向き合うと、わかる。

傷が、もともと「ある」のだとしたら

傷は、ずっと「消えていない」としたら

「同じような」傷を持ったもの同士が、

惹かれあうように出会って、

一緒に決まりを守ることで、

もう、傷を見なくてすむはずだったのに。

なぜ、邪魔なのか、
なんで、敵なのか、
どうして、わかってくれないのか。

大切な人は、
何を教えてくれるのだろう。
何を気づかせてくれるのだろう。
なぜ、そばに、いてくれるのだろう。

何をしたくて、
こんなに苦しい思いをするのだろう。
お互いに。

「自分のこと」ではないのに

「人のこと」なのに

救ってあげなくてはいけない

何とかしなくてはいけない

このままで、いいはずがない

それは、いったい、
誰が誰に向かって、言っていることなのだろうか。


【 カウンセリング・メニュー 】
【 Arriveの考え方と特徴 】
 【 ご予約・お問い合わせ方法 】 
【 実生活に活かすための心の知識 】

トップページお問い合わせ

特定商取引法に基づく表記

サイト内の文章・画像の著作権は「座間カウンセリングスペース Arrive」にあります。
無断複製・営業利用は一切禁止いたします。
(c) 2012 座間カウンセリングスペース Arrive