ヒプノセラピー(催眠療法)

ヒプノセラピー(催眠療法)

内面に意識を向け「自分に気づいていく」

閉ざしていた心の
「静かな声」に寄り添う

不快な現実を「何とかしよう」として、
頭で「考えること」に、行き詰まったとき、

「感じている」感覚に、向き合うことで見つかる、「大切なもの」があります。

ヒプノセラピー(催眠療法)

身体を緩めてリラックスすることで、思考で「考えること」を休ませ、

心の奥底(潜在意識)に埋もれている
感覚として「身体が覚えている」こと、
心の奥で「無自覚に信じ込んでいる」こと、そして、

頭で考えても見つからない「本当は、わかってほしかった想い」に触れることで、

の深いところに閉じ込め、見失ってしまった感情と繋がっていきます。

無意識に「何を感じて」生きてきたのか

「感情」や「感覚」は、それが、

「漠然とした不安」
「よくわからないモヤモヤする気持ち」
「うまく説明できない怖さ」といった、

自分にとって不都合なものであっても、

その「つかみ所のない感覚」を消そうとしたり、
何とかコントロールしようと試みても、どうしても、うまくいかないものです。

私たちの無意識の中で「感じること」は、
それを意識するかどうかに関係なく「自動的に」作用し、
行動に影響を与え続けています。

頭で考えた「そうするべきこと」に意識を向け、
どんなに「何とかしよう」「自分を変えよう」と努力してみても、うまく前に進めないとき、

自覚されていない「無意識の領域」では、
「このまま、変わらないこと」を強く決めているのです。

どんなに振り払っても繰り返される不快感が、

表面上の意識とは「違う何か」を思い込み、
心の奥にしまい込んだまま、どうしても手放せない自分がいることを伝えているとしたら、

外側の世界に不満を感じるとき、
「内側の世界で何が起こっているのか」意識を自分の内面に向けることで、
見えてくるものがあります。

不快な感情は、何を自分に気づいて欲しいのか。

感情も、感覚も、
「感じていること」は、すべて、「自分に、何かを伝えるために」生まれています。

内側から自分を動かす存在である
感情と考えは、「思い通り」になってくれない。けれど、

思考が「何をしているのか」を理解し、
身体が「感じていること」の意味を受け取ることで、

心が本当に望んでいる世界を知ることができるのです。

・言葉の奥に隠されたもの

私たちが「気持ち」を「言葉にして」伝えるとき、

感覚的に「感じたこと」よりも、
頭で「考えたこと」に頼ることが多くなるものです。

「こう思っている」「こんな風に感じている」と、
感情を「言葉」で認識して表現するとき、

「感じた感覚」そのままの状態から、
人に「伝わりそうな」共有できる言葉へと、

無意識の「翻訳」が、脳内で自然に行われているのです。

「思考」による言語化は、「感情」を切り取ることで成り立っています。

内面にあるものを「言葉にすること」で、
自分で把握したり、人に聞いてもらえる安心感は得られますが、

使われる言葉の中に、感情や感覚すべてを含むことはできないのです。

実体を持たない感情や感覚にとって、
人から「受け入れてもらう」こと、まわりの人と「共有できる」ことは、
存在を確かなものと感じるために、とても重要です。

ただ、感情を「理解してもらえる言葉」にする過程では、
うまく伝わらないものや、不適切と判断されたものは、削りとられ、
無難な言い回しに形を整えていくことになります。

もとは「自然な状態」だった感覚は、
思考によって「不自然な状態」に歪められてしまうのです。

自分の内面に「感覚として」確かにあったはずの、
うれしいも、かなしいも、たのしいも、くるしいも、
「言葉のラベル」が貼られたとき、少しだけ自分の感覚から離れ、
自由な形を失い、固定されてしまう。

そして、
そのとき「言葉にできなかった」感情や感覚は、消えてなくなるのではなく、
認識している言葉の奥にある「無意識の領域」に、取り残されることになります。

「言葉にならない」深い心の痛み、「受け取り切れなかった」負の感情は、

不快な感情として、
「良くないもの」「あってはならないもの」と、無自覚に意味づけされたまま、遠ざけられ、
自分の中から「分離」されて、しまい込まれるのです。

・行き詰まりの始まり

不快な出来事から抜け出せず、行き詰まってしまうとき、

「自然に湧き上がった」ただ、それだけの感情に対して、
無自覚に「悪いもの」「不快なもの」と判断し、

「何とかしよう」と葛藤して苦しんだあげく、表面的な対処をし続ける。

そして、同時に、心の中では、
自分自身に対しても嫌悪感を抱き、自分を責め続けてしまう・・・

そんな「繰り返し」の中にいるものです。

「感じていること」に「良い・悪い」の判断を下して、
「不快な感情」を自分から「切り離すための行動」をしたとき、すでに、

「行き詰まり」は始まっていると言えるのです。

感情を「分離しておく」ために、人は、
思考で「自分の解釈による真実」をつくり、物事を複雑にします。

「ある」ことを否定している感情は、無意識に直視することを怖れているため、
心の痛みを感じた自分の存在ごと、まとめて切り離して「ない」ことにしようとする。

そして、痛みを回避するための行動に、

「意味のあることだ」と正当化する理由をつけ、
「この世界は、こういういものだ」という信念でフタをして、

偏った思い込みとともに、無自覚に自分を守り続けます。

「感じている」心の痛みを切り離すために、
「思い込み」に従って 「思考がつくった世界」を、
これが「本当の世界だ」と、疑うことなく信じて生きることになるのです。

感覚の奥底にある「思い込み」に対して、
「頭で考えること」を使ってみても、うまくいきません。

人は、「感じること」と「考えること」を、同時にはできないものです。

自分自身が無意識に
「何を避けているのか」「何を思い込んでいるのか」「何が心の痛みなのか」を知るためには、

「考えること」を意識して休ませ、
「感じていること」に意識を向ける必要があるのです。

「考えること」を手放す

「どうして思い通りにならないのか」
「なぜ、うまく前に進めないのか」
いくら頭で考えても「わからない」とき、それは、
頭(思考)で「考えること」の限界と言えます。

行き詰まって、先が見えなくなってしまった、そもそもの原因は、
「本当は感じている気持ち」を見ないようにしたから
です。

「変わりたい」「乗り越えなくては」と強く心に思い、追い詰められるとき、

心の奥にしまいこんだ不安や怖れを回避するためにつくった
「思い込みの枠に縛られた世界」の中だけで、

もがき続けている状態なのです。

気がつかないうちに、過去の経験によってつくられた「思い込み」から
どうしても「自由になれない」ことの例として、

「小さな箱の中に閉じ込められたノミは、やがて天井の高さまでしか飛べなくなる」

「ロープに繋がれて育てられた子象は、
大人になっても、ロープを引きちぎって逃げられると信じられない」
など、

自己啓発の分野などでは、よく使われる例え話があります。

話の中で「箱」や「ロープ」に例えられる、
自分を制限する「思い込みに気づくこと」も、もちろん大切ですが、

そこから先、どうしても行き詰まるとき、制限から自由になれないとき、
「無意識の領域で信じていること」が、強く影響しています。

自分を縛りつける「思い込み」から勢いをつけて飛び出そうとすると、同時に、

もう何の効力もないはずの「箱」や「ロープ」が、
「なぜ、そんなにまで自分を不自由にしてしまうのか」

無意識に本当は感じている不安や怖さを、切り捨てようとしていると言えます。

誰かにされたことや、過去にあったことを、どんなに「考えて」みても、

自分の外側に原因を探してることになり、
「思考」を使った脳内の物語から抜けられません。

「どんな環境だったのか」「何をされたのか」よりも、

「そこで、何を感じたのか」「どう受け取ったのか」自分の内側で起きたこと。そして、

どんな世界に自分はいると思い込んだのか、
その世界には何が「ない」と信じてしまったのか

心の痛みとなった感覚そのものに、「自分にとって重要な意味」があります。

感じるべきところを、考えようとするから、自分でもわからなくなってしまう。

「自分にはできる」とポジティブに考えてみたり、
自分を追い込んで「限界を、乗り越える」方法を試みても、

過去に目を向け、「こうなってしまった」理由を突き止めてみても、
どうしても、前に進めないとしたら、

「思考」を使って「外側に」働きかけることを、一度、あきらめ、手放して、
内面にある「そのままの感情」に意識を向け、を受け止めることで、
「何を見失っていたのか」に気づく糸口が見つかるのです。

・感覚を開いて、気づいていく

目の前の現実は、無意識によってつくられています。

ただ、意識するしないにかかわらず、

本来いつでも「ある」はずの「無意識」は、通常は把握できません。

手を強く握り締めたままでは、何もつかめないように、
身体も心も閉ざしたままでは、何も感じられなくなってしまいます。

考えると心は閉じてしまうのです。

心が「何を感じているのか」わからない時は、無理に言葉にしないように、
「わからない」という状態をいったん受け入れてみる。

その上で、
身体全体を緩め、リラックスすることを意識し、
思考で「考えること」を少しの間、休ませながら、
自分の内側に深く集中していきます。

言葉として考えても「わからない」無意識に思い込んでいることは、
感覚やイメージとして「感じること」で、意識できるようになるのです。

意識しようとしないと、何事もなかったように「そのまま」流れていく感覚に
「意識を向けること」で、身体からのメッセージを受け取ることができます。

胸のあたりのモヤモヤ、頭に感じる重さ、お腹の奥にある痛み、背中全体の硬さ・・・

問題や悩みに飲み込まれて「どうしたらいいのか、わからない」自分に対して、
身体は様々な反応を伝え、自分の状態を教えてくれています。

「何も感じられない」という感覚でさえ、

「闇の中で、真っ暗な感じ」で、何も感じられないのか、

「胸に空いた穴が、はてしなく広がるような感じ」で、何も感じられないのか、

「言葉のラベル」で意味を固定される前の感覚には、
「探している答え」に繋がる「何か」が、ずっと存在しています。

「何とかしよう」という考えを手放し、

「感じている」感覚に意識を向けることで、

たくさんの「ある」ものに気づけるのです。

静かに、ただ「自分を見つめる時間」

ヒプノセラピー(催眠療法)のセッションの中では、

「楽な姿勢で座ること」
「呼吸を整えること」そして、
「身体を各部位ごとに緩めていくこと」を、15分~20分ほどかけて、

ゆっくりと誘導していきます。

心と身体をリラックスさせた状態から、
身体の感覚「無意識に感じていること」に意識を向け、
痛みや重さ、だるさなど、身体の違和感から自分の状態を見ていく

【フォーカシング】

過去の出来事や、幼い頃の自分の姿から「自分の身に起こっていたこと」を、
もう一度体験していく

【インナー(インナーチャイルド)ワーク】

「あがり症」や「不安・緊張」、「人見知り」などの性格の悩みや、
「不眠」などの体調不良に潜在意識に直接働きかけ、
改善していく

【リラクゼーション(50回暗示法)】

それらを、その時々の状況に合わせて、試みることができます。

「感じること」の先にある変化

心の奥にある「本心」と、無意識の「思い込み」のズレに気づき、
内面の世界を統合する方法は2つです。

意識を向けて、ただ、感じること。そして、

「あ、そうなんだ」という、気づきを得ることです。

催眠療法(ヒプノセラピー)では、

言葉だけにとらわれず、その時々の
「言葉が生まれる前の」自分の感情に意識を向けること、

思考によって「分離した感覚」を
身体感覚から受け取り、統合していく
ことを、丁寧に行っていきます。

「感じていること」に気づいて、受け入れていく「統合」は、
頭(思考)だけでは、どうしても難しくなります。だから、身体を使うのです。

そもそも、人は身体がなければ体験ができません。

そして、体験しないと感情も、痛みも、生まれません。

身体があることで生まれた感情や感覚は、
自分の「内側で感じているの世界」で、すべて「統合」できると言えます。

「感じていること」を、一つひとつ認めていくと、その先に、
自分の身に起こっていることの「すべて」に繋がるのです。

頭は、「思い込み」に縛られやすいものですが、

身体は、心の思い込みの枠には収まりれない動きを持っています。

頭は、心の痛みを避けるために、自分に嘘をつくことがありますが、

身体は、いつも「そのまま」を受け入れている、「正直な存在」と言えます。

何が自然なのか、何が不自然なのかは、
身体が感覚を通じて伝えてくれます。

「緊張して身体が硬くなってしまう」ことも、
「気持ちがザワザワして落ち着かない」ことも、
生命にとって「不自然」な状況だからこそ、「不快」なのです。

自然な状態に戻るために
自分の命が身体を通して「教えてくれるメッセージ」に気づき、自分の中に統合していく。

「感じていること」を思考に頼らずに、受け入れ、
「本心が何を求めているのか」をひも解くことで、

本来の自分の姿を思い出し、自分と繋がり直すことができます。

考えると「わからない」なのに、身体は「知っている」こと。

心と身体は、密接に関係している。というより、

同じ一つのものの二つの側面と言えます。

身体が変われば心も変わります。

身体が緩めば、感情も出やすくなるのです。

・呼吸を整えて、心に集中する

呼吸「息をすること」は、
生命を維持する自律神経の中で唯一、自分でコントロールができます。

「意識して」身体にアプローチできるのが呼吸なのです。

心と息は、とても深い関係にあり、呼吸は心の入り口とも言えます。

「息」という漢字が、「自」と「心」で表されているように、
呼吸を意識して整えることで、自分の心に集中していくことができます。

人間の五感は、外側の世界の情報を集めるようにできているため、
人は、自分の内側の世界を静かに見つめる習慣があまりなく、
心は、外側で起こっていることに反応し、翻弄されやすいものです。

「呼吸を整えて、身体をリラックスさせること」を、意識して行なうことは、
思考「考えること」を、少しの間、休まることになり、

意識は、自然に内側の世界で「感じること」に向けられます。

ストレスとなる感情は必ず、身体のどこかで強く反応しているものです。

「不快」を感じて、ネガティブな感情が湧き上がってきたら、
身体感覚に集中して「何が起きているのか」を丁寧に探ってみる。

みぞおちが痛い、胃がチクチクする、頭が締めつけらる、
足の力が抜けて心もとない感じがする、
ズーンと重い、手足の指先が冷える、ソワソワする・・・

身体のどこかに、ネガティブな感情による「感覚」があることに気づけるはずです。

気になる身体感覚に意識を向けたら、
ずっと、押し込めてきた感情を解き放つために、
これまで避けようとしてきた感覚を「味わって」みる。

悲しみや怒りからくる負の感情は、
「切り離しておきたい」「一刻も早く遠ざけたい」と思ってしまうもの。だから、
どうしても抵抗を感じますが、

決して、その感情に飲み込まれることはありません。

不快な状況を回避するために、
「感じていること」を無視したり、否定して目を背ける方が、
かえって「怖れ」や「不安」を大きくしてしまうのです。

大切なのは、ネガティブな感情の存在を「認めてあげること」であり、
それが「心の痛み」を感じた自分を「統合すること」に繋がります。

呼吸を整え、感覚に集中できたら、
その感度が熟していくように、
「不快な感覚」に飛び込み、ゆっくりと味わっていく。

その感覚と一体化するイメージを持って、全身に広げてみるのです。

数秒から、数分、長いときは数時間、丁寧に感じていくと、

「不快な」「痛い」「冷たい」感覚が、突然、
「心地良い」「解放された」「じんわりとした」感覚へと、変わるときが訪れます。

これまで、体内で凝り固まっていた冷たい塊が溶けだすように、
全身に広がっていくように感じられたら、

それが、感情を味わい切ったサインです。

違和感を感じて切り離そうとしていた「不快感」を、
自然な「自分の一部」に戻してあげる。

「感じ切ったあとの感覚」が伝えてくれる、
「身体からのメッセージ」を、自分自身が受け取ることで、

それまで、自分を苦しめてきた感覚は、本来の目的を果たせます。

「不快」をつくり出した「思考」を休ませて、
「言葉」が自然に落ちてくる場所をあけるように、緊張を緩めてあげる。そして、

「本当は何が欲しかったのか」心の声に、耳を傾けてあげる。

根深かった、暗くネガティブな感情も、
その奥にある本心に触れることを、丁寧に繰り返すことで、
少しずつ、小さくなっていきます。

無理に「言葉」や「気づき」を絞りだそうとすると、無自覚に「思考」を使うことになり、
「しなければならない」に縛られて、行き詰まります。

また、「うまくできないかもしれない」「いま感じていることは、おかしくないか」
そんな疑いがあると、不安や怖れから身体は緊張します。

身体を緩め、思考を休ませ、感覚のすべてを受け入れて、
内面に「ある」ものに、そのまま気づいていく。

「考えずに感じる」

すぐに「わかろうとしない」ことが、受け取るために必要な「準備」になるのです。

・心の痛みと向き合い、受け入れていく

「自分がなぜ、そうしてしまうのか」

それが、自分にとって良いことであっても、逆に受け入れ難いことであっても、
「無意識に自分が思い込んでいること」には、「その理由」が埋まっています。

筋の通らない、人にうまく説明することも難しい、
それなのに「自分には、不思議と納得ができる」自分にしかわからない世界が、
そこにはあります。

「これまで、感じてきたこと」は
心の奥底に置き去りにされ、いつの間にか忘れられていきます。しかし、

消えることのない記憶の痕跡として、
自分でも、よくわからない怖さや不安感、身体に現れた痛みや重さなど
様々なに形に姿を変え、自分の中にあり続けているのです。

人は、不快な何かを見て「反応」するとき、同時に、
内面の奥に隠した「見たくないもの」にも、直面しています。

怖れに伴う身体の感覚は、これまで抑圧してきた感情による反応です。

「泣きたいけど泣けなかった」
「言い返したかったのに何も言えなかった」

そのときの悲しみ、怒り、悔しさ、寂しさなどが、
体内の感覚として残っていて、

「外側の出来事」が引金になり、刺激された「内側の痛み」が表面化したのです。

無自覚に感覚を妨げてしまう「思考」は、
「○○しなければ」「○○するべき」という信念をつくり出して、
「痛み」に繋がる「不快」を遠ざけようとしますが、

そのやり方では、
痛みをごまかすことができても、痛みの体験そのものを避けることはできません。

むしろ、
信念に縛られた「偏った行動」を続けることは、「痛みの体験」を引き寄せることになります。

痛みの感情自体は、自分の中から消えない。でも、

「痛みを感じないようにしよう」とする抵抗感を和らげることはできます。

それが、痛みと向き合い、受け入れることであり、
「感じている自分」を「統合」していくことなのです。

怖れに(無自覚なまま)支配されるか、
怖れは怖れとして受けとめて生きるかは、全然違うものです。

そもそも、「痛みを感じること」はなくならないし、なくそうとする必要もありません。

心の痛みは本当にイヤなものです。だから、
それを「避けようとする脳の基本的な働き」はなくならないのです。

これまで封印してきた感情を統合するためには、
「思考を手放すこと」「感覚を開くこと」が欠かせません。

「開くこと」は、
思考を使う理由の根っこにある「怖れ」や「不安」の存在を許すこと。そして、
心の奥にしまい込んだ「痛み」に気づいていくことです。

無自覚に心の痛みを回避するのを止めて、
「痛みがあってもいい」というところまで、たどり着く。

思考を使って「痛みを避けようとしていること」に気づいて、
「抵抗を止めること」に意味があって、

「痛みは、あってもいいんんだ」と受容していく、
その過程そのものが、何よりも大切です。

統合が「どれだけ進んだのか」は、
怖れと不安を「どれだけ受け入れているのか」と同じです。

だから、統合していくことで、人は楽になるのです。

感覚を開いて、
身体の中で反応しているエネルギーを、すべて受け取ったとき、
怖れや不安の奥にある心の痛みの「存在する意味」が変わります。

ヒプノセラピー(催眠療法)を通じて、
「何を感じているのか」「身体はどんな状態なのか」
言葉にならない「自分の内側で起こっていること」を、丁寧に感じていくことで、

自分の中の「忘れていた記憶」や、「身体感覚が伝えていたこと」に繋がり、

不確かだった感覚は、
自分の内面から自然に湧き上がる「言葉」として、「わかる」ようになります。

無意識にしていた「反応」が、
自分の中にある確かな「想い」に変わるのです。

ヒプノセラピー(催眠療法)

現実を「変えていく力がある」から、
「感じている」

不快な感情は、自分の中にある譲れないものを導き出してくれる存在です。

「快」より「不快」の方が意識を向けやすいのも、
それだけ、自分にとって大切なものを指し示しているからと言えます。

心の「痛み」は、「こういう世界が本当はあるはずだ」という「願い」の裏返しなのです。

求めているものが「ない」という喪失感、切り離される「痛み」は、

自分の中に心からの望みが「ある」からこそ「感じる」はずです。

だからこそ、無自覚に「反応」に飲み込まれるのをやめて、

「本当は、そうじゃない」「本当に欲しいものは、これなんだ」という本心まで、
「反応」の意味を読み解いていく。

感情の奥の奥には、
「自分だけの真実」が「感覚」として、ずっと存在して、
「反応」を引き起こす原因となっています。

感覚が示すメッセージをひも解いて受け取ることができたとき、
不快な反応は、その役目を終えるのです。

どんなに考えても「わからない」なら、考えることをいったん止めてみる。

「わからない」のは、
もっと頑張って「どうしたらいいのか」を、考えていたいのではなく、

「本当の気持ち」からの、かすかなメッセージに意識を向けて、

内側に「ある」自分だけの真実「自分が大切にしたいもの」「何がほしかったのか」を、
見つめ直すとき
が来ていると言えるのです。

不快な感情を「あっていいもの」とし、「何とかしよう」とする思考と行動をやめて、

ただただ、そのまま味わい尽くす。

「反応している(感じている)自分を、ただ観る(俯瞰した中立な視点を持つ)」という状態になっていくことで、

不快な感情は、自然な状態に落ち着き、深いところにある「気づき」に繋がります。

ヒプノセラピー(催眠療法)

自分の内側にある思い込み、信念に気づくこと。そして、
自分を縛る思い込みをひも解いて「本当は、どうしたかったのか」を思い出すこと。

すべてを「わかっている」と過信したとき、人はコントロールしたくなるものですが、
人間の「できること」は、ほんの一部です。

「考えること」は、物事を「分断する」ことになり、心は閉じた状態になります。

心を開いて「感じること」で、すべてと「繋がる」ことができます。

本来すべての情報を受け取っている無意識に繋がる。

「気づき」は、突然来たようにも思えますが、

もともと無意識には、いろいろなものが降り注いでいて、
「ずっと、ある」ものに、「ふと、気づいた」だけ、とも言えます。

気づくことができた「本当の想い」に繋がったうえで、
思考を「どうしたら本心から生きられるか」に使えたとき、

これまで「痛みの回避」にばかり使っていた力を、
人生の目的のために使うことができるのです。

本当は「ずっと、感じていた」感覚に、静かに、集中する。

それは、
自分の中に「ある」のに「意識していなかった」感覚に気づくため。

そして、
その奥底にある、埋もれていた感情が教えてくれる
心からの願いに「繋がった」と思える瞬間に、たどり着くためです。

感じることに委ね、考えることを手放し、
無意識にまかせる。

自分の中の感覚と深いところで「繋がった」とき、

「無意識」だったものが「意識」できるようになり、より大きく全体像が見えるようになります。

その結果、自分が広がり、「わかる」領域が増えるのです。


【催眠状態について】
催眠状態のときは、通常目覚めているときと同じように理性もありますし、
「話したくないこと」勝手に話したりすることもありません。

また、ご希望の方には催眠状態の説明と、簡単な実演をしてからセッションを致します。

リラックスを目的とした、
「ヒプノセラピーのみ」のセッションも承っていますが、
特別に、ご要望のない場合は、
心理カウンセリングを交えて、セッションをいたします。

*はじめてヒプノセラピーを受ける方には、
時間に追われることで、リラックスを妨げることのないように、
90分以上のお時間からのセッションをお勧めしています。

*心理カウンセリングのセッション中に、
ヒプノセラピーを取り入れることもできます
ので、ご遠慮なさらず、ご相談ください。


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